December

昨年12月、六本木のOTA FINE ARTSで、Maria Farrar『Overseas』を観た。時間は経ってしまったが、所感を書いておこうと思う。その時は作家については全く知らず、別の展示を観に行った際たまたま立ち寄った。半年以上経った今も、鮮明に印象に残っている。

ショウウィンドウに並ぶカラフルなお菓子やパンプス、画面全体の色彩が、ファンタジーの世界を思わせるが、そこに視線を送る女性たちの沈黙が、これは夢物語ではないんだなということを気付かせる。小鳥、犬、一輪の花、パンプス、お菓子、小さなピアス。絵によって異なる場所、状況の中でモチーフが繰り返される。観る人がそれらをゆっくりと眺めることができるのは、絵の中の女性たちが皆、背を向け、隙を与えてくれているからだ。そして女性たちは、それらのものと等しく、「対象」として見られることに気づいているのではないか。

展示空間を歩きながら、自分がこれらの絵にすごく惹かれていることを感じながらも、自分がこの作品を良いと評価するような資格はないのではないかという気もしていた。

マリア・ファーラは、1988年、フィリピン人の母とイギリス人の父との間にフィリピンで生まれ、2歳から15歳までを日本で過ごし、現在はロンドンを拠点に活動している。彼女の母親は、日本やイギリスで、「外国人労働者」として働いてきた。

本展に際して、ファーラは次のように述べます。「海外労働者の声の多くは耳に入ってきません。彼らは芸術家でも政治家でもなく、家族を養うために黙々と仕事をこなしているのです。彼らはこの世界において目に見えない静かな存在ですが、彼らがいなければ社会は機能しません。色が、彼らの声を表すメタファーになればと思います」(展示ステートメントより抜粋)

展示のハンドアウトに掲載されていた、アーティストのブブ・ド・ラ・マドレーヌのテキストも引用したい。

「女らしさ」とは、その土地の歴史の結果であり、同時に発端だ。女性たちが選択したりしなかったり、選択できなかったりしたことの積み重ねによって歴史が作られる。私たちが路上で、レストランで、密室でその歴史に直に触れる。そしてそれは、旅や移住をした時に「ずれる」。土地は相互に影響を与え合いながらもそれぞれ異なる歴史を持つからだ。そのずれた隙間から自分の記憶が立ち昇る。(“女らしさの旅”ブブ・ド・ラ・マドレーヌ(アーティスト) )

「海外労働者の声」、「ずれた隙間から立ち昇る記憶」は、同じ頃に読み進めていた小説、オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』とも重なり合うような気がする。ベトナム人の母、祖母と共に、アメリカに渡り暮らす僕が、記憶をたどるように母に語りかける言葉。物語そのものが詩のようでもあり、少し読むたびに言葉が反芻し、なかなか読み進められない。そのうち読み終えるのが惜しくなって、そのまま一度本棚にしまってしまった。(この投稿を書くのに久しぶりにページを開いた。)

僕は今、自分が何を言っているのか分からない。多分僕が言いたいのは、時々僕たちが何ものなのか、どういう存在なのかが分からなくなるということだ。僕は自分が人間だと感じるときもあれば、むしろ自分が音みたいだと思う時もある。自分の体が世界と触れているのではなくて、かつての僕のこだまが世界に触れている。母さんにはまだ僕の声が聞こえる?僕の書いている文章が読める?(オーシャン・ヴオン『地上で僕らはつかの間きらめく』木原善彦・訳 新潮社クレストブックス)

ベトナム生まれのオーシャン・ヴオンも、マリア・ファーラーと同じく1988年生まれだ。そのことが自分に強く印象づけられたのは、自分も1988年生まれというだけでなく、昨年3月6日に名古屋入管で亡くなったスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんも同じ年の生まれだったからだ。二度目の東京オリンピックが開催された年に、自分と同い年の、何の罪もない女性が、行政機関で亡くなったことを、自分は忘れないだろう。

マリア・ファーラーの絵と向き合った時に感じたうしろめたさには、ウィシュマさんの事件を通して知った、外国人労働者への日本の酷い実状が想起されたからかなと思う。背を向けた女性に自分が送る眼差しも、暴力でありうる。しかし、ギャラリーを後にした時には、良い作品を観れたという興奮と、前向きな活力を感じていた。作品が、そうした暴力や差別を告発するのではなく、女性たちへの尊敬と賛美を描いているからだと思う。絵の中に生きている女性たちの逞しさに、励まされる思いがした。最低に思われたこの年に、同じ時代を生きてきた作家の絵と、小説に出会えた偶然は、自分にとって救いだった。


ウィシュマさんの事件に関しては、下記のサイトに詳しい。

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