Jaffna Fish Curry

土曜日。アーティストランのギャラリー兼食堂Lavender Opener Chair/灯明で開催されたイベント、Akako Iwama『Fish Curry in Memory / Jaffna Curry』へ。アーティストの岩間朝子さんによる、スリランカスタイルのフィッシュカレーを食べることが出来た。

スリランカ北部に位置する都市の名を冠したカレーは、紛争によって故郷を逃れねばならなかった人々のアイデンティティや、社会学者としてかつてスリランカを訪れた岩間さんのお父さんの記憶とも結びついている。カレーと供に渡される2枚のポストカードには、そのお父さんが撮影したスリランカの写真と、スパイス配合のレシピ、カレーのレシピがそれぞれ印刷されている。このポストカード含め、食事の体験そのものが作品として捉えることができるのかなと思う。

岩間さんの料理、作品に触れるのは初めてだったけれど、後でインタビュー記事を読むと、もともと都市空間に関心を抱いていたと語っていて、なるほどなーと思う。アーティストユニットのL PACKがやっていることにも共通するけれど、食事を振る舞うことで、人が集まる場所を作ったり、空間を変化させることができるのは、”食”のすごい力だ。

食べるという行為はあまりにも日常化しているので(というより、生きるために不可欠なので)、対象化しづらいけれど、自分が食べたこのカレーを、時間も空間も違う誰かが食べていた(かもしれない)ということへの気づきは、意識の拡がりとして面白い。”食=文化”などの背景や、関連する社会問題などを考えはじめると果てしないけれど、「フィッシュカレーがめちゃくちゃ美味しかった!」という感動は、日付がスタンプされたポストカードと一緒に、ひとまず持ち帰ることができる。(ごちそうさまでした!)

ak.


ENOUGH

積雪の東京。先月に訪れた金沢、富山で本場の雪景色に見慣れていたせいか、驚きは薄いが、歩くのは楽しい。

金沢は、NN | NEW ACCIDENT で開催された、友人でもある金山永明、龍崎俊の二人展『HTPX by Eimei Kaneyama and Suguru RYUZAKI』 のオープニングに合わせて出かけた。龍崎さんの写真の上に、アキさん(金山永明)が、ペイントをした共作。龍崎さんの強度のあるイメージの上に、奔放な線が動き回る感じが、観ていて心地よかった。絵としての完成度が非常に高く、調和しているので、それゆえに少し物足りなさも感じた。もっと不完全なものが見たいという欲求が自分の中にあったせいかもしれない。

久しぶりにIACKにも立ち寄る。以前から気になっていたkeijibanIACKのすぐ近くにあり、Lawrence Weinerの作品を観れた。海外アーティストのエディション作品を、街の掲示板を利用して発表している。掲示板にある小さなQRコードから、作品情報を読むことができ、エディションを購入することもできる。さりげなく街に開かれている在り方がすごく良いなと思う。

金沢21世紀美術館では、『ぎこちない対話への対応策 第三波フェミニズムの視点で』と『フェミニズムズ / FEMINISMS』を観る。(地下展示室で開催していた『海部公子 色絵磁器陶版画展』も観た。じんわり良かった。)

『ぎこちない対話〜』は、ゲストキュレーターのアーティスト長島有里枝が、作家としてどのようにフェミニズムと向き合ってきたか(向き合わざるを得なかったか)を立脚点として、出品作家たちとの対話を重ね、展示が構成されている。自分自身を”フェミニストじゃないと思っていた“立場から、”わたしはフェミニストじゃないと思っている人へ“と語りかけるステートメントはとても真摯に感じたし、公立の美術館でフェミニズムの展覧会を行うことの意義についても改めて考えさせられる。これまでフェミニズムの文脈で紹介されてこなかった作家(男女の性差に関わらず)や、直接的にフェミニズムを扱っていない作品の中にも、”フェミニズムの見地”から見れば、共通する問題意識が浮かび上がってくる。そのことが展示作品を見ていく中で気付かされ、そうしたフェミニズムの見地からのまなざしを、社会だけでなく、身の回りの出来事や、自分自身の言動、考え方にも向けてみることの必要性についても考えさせられた。

他方、『フェミニズムズ〜』では、ジェンダーの問題、フェミニズムを正面から扱う作品、作家が中心となっている印象だった。90年代以降のフェミニズムが、若い女性を中心に、POPカルチャー、メディアを通して広がっていき、現代では世界各地のムーブメントがインターネットによって繋がり、複数形で語られ始めている…というステートメントの見取り図は間違ってはいないと思うが、微妙な違和感を感じる。複数形、多様性を認めつつも、それらを”フェミニズムの表現“と一括りにすることは、どこか抑圧的じゃないだろうか。東京オリンピックや、NHK紅白(テレビっ子なので、無条件でつい見てしまう…)が掲げる多様性への違和感と通ずる気がする。『ぎこちない対話〜』が丁寧かつ慎重にフェミニズムの遍在を語った後に観ただけに、結構くらってしまった。この2つの展覧会を同時に開催する美術館のメッセージは何だろう。

ぎこちない会話への対応策—第三波フェミニズムの視点で

フェミニズムズ / FEMINISMS

と思っていると、年明けに森美術館の『アナザーエナジー展」』関連プログラム トークセッション「エキシビジョンメイキングに見るフェミニズム」がYoutubeで公開(2022.1/24までの期間限定)されているのをみつけて視聴。長島さんが、結果的に1つの企画が2つの展覧会になった”鬱々とした”経過に関して語られていた。

”個人的には分かり合えないところは埋まらなかったが、『フェミニズムズ〜』については、間違っているとは思わないが、自分とは違う方法をとっていて、でも私がやりたいことじゃないなというだけで、それと適度な距離感をとりながら眺めていく。100%容認する必要もないし、100%否定する必要もない、そういう宙ぶらりんな状態がいいものなんじゃないか”と話されていた。また、“20歳で何もわからず作家としてデビューさせられた自分は、わからない人たちの側に立って何かできるんじゃないか”という発言も印象に残った。(*どちらもYoutubeを視聴してのメモ書き)

また、上記の発言を受けて、笠原美智子さんが、”お互いの差異を認めることはフェミニズムの根底にあるもの”とし、フェミニズムが怖いと若い人たちに思われることについてどうかという問いに、”怖くて良いんじゃない?”と語っていたのが力強かった。プレゼンテーション含め、2時間ほどのトークだったが、とても充実した内容だった。小田原のどかさんがフェミニズムを学んでいく中で、”自信を持って疑問を持っていいんだ”と気づいたという言葉も印象に残った。

その翌日、まだ観ていなかった『アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人』を観にいく。遅い時間まで開館しているのはありがたい。初見の作家が多く、見応えがあった。カタログの論考で ”彼女たちの評価にこれほど時間がかかった理由を考えてみることにも意義があるだろう。(中略)ひとつには、ジェンダーや年齢を含め、何らかのアイデンティティや傾向を単純に表象していない、ということが考えられる”(p116 アナザーエナジー ステレオタイプ、カテゴリー、完璧さから自由であるために 片岡真実)と書かれているように、多様で複雑な表現を続けてきたからこそ、現代に作品が響くのかもしれない。共同制作や、手工業的な作品が多く、全体にしなやかな印象の作品が多かった。作家全員がそれぞれインタビュー動画で紹介されているのも魅力だった。本人が顔を見せて直接作品について語ることそのものが、作家を神格化し、権威的にしようとすることに対する対抗のようにも感じた。時間がなかったので、動画をまた後でゆっくり観たいなと思っていたら、Youtubeに全編上がっていた。

Suzanne Lacyが、動画の中で、(若い世代のアーティストへのアドバイスとして)「誰に語りたいか。誰が観客か。あなたはどこにいると想定されるのか。」と問いかけたいと答えており、どこかで聞いたな…と思うと、パブロ・エルゲラの『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(フィルムアート社)の中で、“「誰があなたのオーディエンスか?」これは教育者が活動の計画段階で最初に問う質問である。”(p.59) と書いていた。

Suzanne Lacyは、森美術館館長とのアーティストトークも公開されていた。美術館に訪れることがない人についての想像力を、両者が語っていて、「わからない側の人に立つ。」という長島さんの言葉を重ね合わせながら聞いた。

ak.


Small things

ここに、読んだ本、見たもの、考えたことなどの所感を書き残していこうと思う。小さいけれど、何か良いなと感じられたもの。それを読み返したとき、もしくは、読んでくれた人と、何か交換できるものがあるだろうか。

ak.









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