March

高橋悠治

3月10日木曜日、浜離宮朝日ホールで『高橋悠治 ピアノ・リサイタル “Bのバガテル”』を聴きに行く。3つのB(19世紀のベートーヴェン、21世紀のジョナス・バエス、20世紀のバルトーク)の3部構成。仕事が遅くなり最初のBは間に合わず、2人目のBは途中で会場に着き、ロビーのソファで漏れてくる音を聴いた。最後のBでようやく客席に着く。

高橋悠治のコンサート行くのは何度目だろうか。いつも、どこか小さな朗読会のような趣を感じる。地味ということでもなく、会場が小さいわけでもないが、なぜか小さな空間にいるように感じる。良い演奏をしようという考え一切無しに、演奏を通じて、ある作曲家の意思、生きた時代、その連なりを、譜面から、音の響きから、聴き取り読み取ろうとする姿を目のあたりにする。

彼がピアノの前の椅子に腰掛け、鍵盤に手を置く。と、同時に音が響き、演奏が始まる。よく考えれば、「手を置く」ように見える動作は、実際には「ピアノを弾く」という動作なのだが、その動きがあまりにも何気なく、気負いがないので、スッと手を置こうとしたようにしか見えない。その一連の動きを見るために何度も観に行っているような気もする。


江崎愛

西荻窪HAITSUで行われた展示『PORTRAIT IN NOVEMBER』観に行く。撮り下ろしの人物ポートレートと、それに合わせた写真集の刊行。メインの展示物となっているのは、30分近い作家自身のインタビュー音声だ。インタビュアーの声は編集でカットされており、一人語りのようになっている。展示は各時間1名ずつの予約制で、音声を聴き終わると、本人登場よろしく江崎さんと話せる(不在の日もあったのかもしれない)。元々彼女の人となりを知っているからかもしれないが、すんなりと見れた(聴けた)。

江崎さんのポートレート作品のおもしろさは、人物の本性を写し出そうとするのではなく、自身の現在の関心やムードを人物に投影しようとしているところにあると思う。彼女の語りたいストーリーの登場人物として撮影する。エゴイスティックのようにも思えるが、登場人物のインスピレーション源は、その人物そのものでもあるので、

(…と、ここまで書いたところで、次にまた書き始めるまでに3ヶ月も間が空いた。この投稿を書いていたことをすっかり忘れていた。思い出しながら書いていたことを思い出しながら書く)

彼女が思う人物像を、その本人に演じさせるという些か倒錯した視線ゆえか、被写体の存在感がどこかぎこちなく感じられ、それが写真の魅力となっているのかもしれない。そうしたポートレートは展示形式でシリーズとして発表されることが多く、映画のイメージボードか、小説のようでもある。本展のインタビュー音声では、江崎さんが自身の撮影スタイルについても語っている。「帽子の男の人」、「この女の人」など、人物を名前で呼ばないところにも、らしさを感じる。あえて書くなら、今回の展示は、小説というよりも、エッセイのような趣きがあるな…と、感じたな…と、書こうと思っていたことを思い出しながら。

ak.


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